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沈没船

Novel's by urazuMa

愚かなニンゲンどもが地上に現れてより、早や数十万年の時が経った。

奴らは長きにわたってこの星の覇者として繁栄を極めてきたが、それももう間もなく終わりを告げる。

偽りの霊長どもに栄えある終焉を。

人類滅亡の日はすぐそこまで迫っている。


我々はカニ人。この星の真の支配者である。

我々の目的は、哀れな人類に滅びという名の救済を与えてやることである。

我々はニンゲンよりもずっと賢く、強靭な肉体を持ち、すぐれた科学技術も有している。

我々は奴らよりもはるかにすぐれた生物なのである。


やがて我々はニンゲンを滅ぼし、そして第二の人類としてこの地球上の全生物の頂点に君臨する。

我々の真の実力をもってすれば、人類を滅ぼすなどフナムシを叩き潰すよりも簡単なことだ。

ニンゲンの言葉でいえば、「朝飯前」「おちゃのこさいさい」というやつである。


……いや、フナムシは言い過ぎたかもしれない。

そういえばついこないだ隣村が大量のフナムシに襲われ、仲間が大勢引きちぎられて食われたと聞いている。

しかも噂では、生き残った仲間も大半が彼らの住処へと連れ去られてしまったとか……なんとも恐ろしい話である。

訂正する、フナムシは強い。

それはともかく、我々は脆弱なニンゲンどもよりはるかに強い生き物なのである。


しかし、2020年1月現在の地球上の様子はどうか。

ニンゲンは絶滅したか?

奴らの主要都市は我々カニ人の軍団によって蹂躙されたか?

残念ながらそうではないのである。

嘆かわしいことに、今もって我々はニンゲンを滅ぼせていない。

それどころか、奴らに侵略戦争を仕掛けることすらできていない状態なのである。


それはなぜか。

人魚のせいである。


人魚は我々カニ人の天敵だ。

どいつもこいつも岩盤のように硬い表皮を持っているくせにスピードはまるで魚雷のように速く、いつも我々を目の敵にしていて、カニ人を見つけると食べるか身体をバラバラに引きちぎってしまう、まるで悪魔である。というか悪魔に違いない。

しかもあろうことか人魚族のメスはニンゲンのオスが大好き(性的な意味で)なので、奴らを滅ぼそうとしている我々のことを快く思っていないのだ。

まったくもって邪魔以外の何者でもない存在である。


それでも我々は勇敢に戦うのであるが、生来の身体能力の差は如何ともしがたく、常にあと一歩の所で敗北を喫してしまう。

我々がいまだ人類を滅亡させていないのはこれが原因である。

人魚族の存在が、我らの進攻を阻んでいるのだ。


しかし、そんな状況でもめげたりする我々ではない。

いつの日か必ずや人類滅亡の悲願を成就させるため、そして打倒人魚族のため、我々は日々奴らについての研究を続けているのである。

このレポートもその一環である。

人魚族の妨害によって我々は陸地へ上陸することができないので、ニンゲンが海洋に投棄したゴミや、天災や戦争等で海底に沈没した船を調査し、 ニンゲンの生活や技術に関する情報を収集しているのだ。

これは、そんな「ニンゲン調査隊」に私が同行した際の記録である。

その日の調査は、とある海域に沈んだニンゲンの船が対象であった。

そこは当時私が住んでいた村からほど近いエリアで、哨戒チームから沈没船発見の報を受けた我々は、ただちに調査チームを派遣することにした。

チームの総員は12名。その中には人魚族からの襲撃に備えた護衛が2名含まれている。

準備を整え、我々はすぐに出立した。

太陽の光がぼんやりとしか届かぬ海底を、我々はぞろぞろと列をなして歩いていた。

一人一人が「海照灯」と呼ばれるライトのようなもので進行方向を照らしている。

これは海中に生息する特殊なバクテリアと同じく特殊な巻貝の分泌物を利用した光源で、圧力を調整することによって自由に光量を変化させることができるという優れものである。

これがなければ如何にカニ人といえども海底を自由自在に歩くことはできない。

それほどに海の底というのは暗い闇の世界なのである。

我々が黙々と歩き続けていると、先頭を行く隊長が後ろを振り返りつつ叫んだ。


「もうすぐ目的地カニ。情報によれば、そこそこの大きさのニンゲンの船が沈んでいるはずカニ。みんな周りをよく見て、それらしきものがあったらすぐに隊長に報告するカニ」

「了解カニ!」

私も含め、隊員のカニ人たちが一斉に片手を挙げて返事をした。

手に持った海照灯の明かりを頼りに、各々が我先に沈没船を発見しようと周囲に目を凝らす。

私の前を歩いていた仲間が、もっと遠くまで見ようとして海照灯の光量を調節しようとすると、すぐさま隊長から叱責の声が飛んできた。

「こら、あんまり明かりは強めちゃいけないカニよ。この辺りは人魚ちゃんの目撃情報が多いから、見つかったらえらいことになるカニ」

そう言って、隊長はぶるりと身を震わせた。

その言葉を聞いた私たち隊員の身体も同じようにぶるぶると震えた。

全員が慌てて海照灯の光量を下げる。

人魚に見つかるくらいなら、沈没船を発見できずに延々と歩き続けているほうがはるかにマシだと思えたからだ。


しかし、そう思ったのは全員ではなかったらしい。

隊長に向かって挙手をして発言権を求めたのは、最近調査隊に入ったばかりと思しき若いカニ人だった。


「隊長、質問してもいいですカニ?」

「ん、どうしたカニ?」

「人魚というのはそんなに恐ろしいものなのですカニ?」


その言葉が終わるか終わらないかの内に、私や隊長も含めた調査隊の全員が、血相を変えてその若いカニ人に飛び掛かり、その愚かな口を一瞬でふさいだ。

そして、突然のことに何が起こったのか分かっていないそいつに向かって、隊長が必死に押し殺した声で怒鳴った。


「このばか野郎!びっくりして心臓が停まるかと思ったカニ!このあんぽんたん!スットコドッコイ!信じられない奴カニ。人魚ちゃんを呼び捨てにするなんて……いいカニ?今度から人魚ちゃんのことを呼ぶときは、必ず後ろに『ちゃん』を付けるカニ。もし今この近くにウミガメ人魚ちゃんでもいたら、我々の調査はここで終了していたカニよ」

「わ、わかりましたカニ。すみませんでしたカニ。もうしませんカニ」


隊長の異様な気迫に圧されたのか、若いそいつはコクコクと頷いた。

我々はそのまましばらく息を殺し、辺りに人魚族の気配がないか慎重に探った。

そして、どうやら今この近くにはいないようだと分かると、全員がほっと溜息をついた。

こほん、と小さく咳ばらいをしつつ隊長が言う。


「……まったく、寿命が縮むかと思ったカニ。次からは十分に気を付けるカニよ。不用意な言動一つで文字通り部隊が壊滅することもあり得るカニ。我々の仕事は非常に危険なのだカニ」

「わかりました、以後は十分に注意しますカニ」

「うん、わかればよいカニ」


そう言うと、隊長はカンカンとハサミを打ち鳴らした。


「さあ、目的地はすぐそこカニよ。みんなもくれぐれも油断するなカニ」


そうして、我々はまた歩き始めた。

先ほど隊長に怒られた若者の方を見ると、何とかして自分の失態を取り戻そうとしているのか、目を皿のようにして周囲を見回している。

あまり肩に力を入れすぎなければいいが、と私は思った。


海照灯の光を頼りにしばらく進むと、目標の沈没船の姿が目に入った。

沈んでからかなりの年月が経っているようで、船体表面はフジツボや海藻などでびっしりと覆われている。

かなり古い時代のニンゲンが使っていたようだ。

「これカニ。こいつを調べるカニ」


コンコン、と船体をハサミで叩きながら隊長が言った。


「かなり大きいですカニね」

「たしカニ。調べるのはなかなか骨が折れそうカニ。……よし、二手に分かれるカニ。AとBの2チームでそれぞれ反対側から調査を開始するカニ」


隊長の指示の下、我々は6名ずつのチームに分けられた。

私は隊長と同じAチームに組み入れられた。

他のメンバーを見ると、あの若い隊員も同じチームだった。

隊長の目の届くところに置いておくということだろうか、と私は思った。


「気を付けて行ってくるカニ。何か異常を感じたらすぐに連絡してくるカニよ」

「わかりましたカニ。ではBチーム、行ってきますカニ」


Bチームは新たに選ばれたリーダーを先頭に、船体の崩れた部分から内部へと入っていった。

それを見送った後、隊長はこちらを振り返って言った。


「さあ、我々も調査を開始するカニ」


そうして我々Aチームも船内へと足を踏み入れた。

内部はほぼ完全に真っ暗で、海照灯がなければ何も見えない。

まずは護衛担当が船内に危険がないことを確認、続いて我々調査担当者も入り、船内をくまなく調べ始めた。


おおよそ一時間ほどの調査の結果わかったことだが、どうやらこの船は今から三百年ほど前にニンゲンによって使用されていた運搬船であったようだ。

船内には未開封の木箱や樽が大量に残っており、内部の成分を分析した結果、ニンゲンが「漬物」と呼ぶ魚介類を使った保存食品や、同じく「ワイン」と呼ばれる陸生果実由来の飲料等が入っていたようだ。

どうやらこの船はそれらの荷物をニンゲンの居住地から居住地へと運搬する役目を担っていたらしい。

その途中で何かものすごく大きなものに衝突された……というのが我々の見解だった。


我々が入ってきた穴は、その時の衝撃によってできたものだと思われる。

別の船か岩礁かはわからないが、とにかくそういったものによって船体が大きく破損し浸水、海中に没したと推測された。


「あの穴は一体なんなんでしょうカニ?」


私がそう言うと、隊長は首を横に振って答えた。


「わからんカニ。岩礁にでもぶつかったか、はたまた同じニンゲン同士で争ったか……」

「争ったというよりは、一方的に襲われたのかもしれません」

「そうかもしれないカニ。しかしいずれにせよ、まずは調べてみないことには何もわからないカニ」

隊長の命の下、私たちのチームは別の階層へと移動した。

さらに調査を進めていくと、他とは少し雰囲気の異なる部屋に辿り着いた。

小さな個室だが、明らかに他の部屋よりも高級な家具が誂えてあり、書き物をするための椅子と机も置かれている。


「ここはいわゆる『船長』、つまりこの船のリーダーが使っていた部屋かもしれないカニ。よく調べるカニ」


そういうわけで、この部屋は特に念入りに調べられることになった。

家具の引き出しはすべてこじ開けられ、床板や天井が仲間たちによって剥がされていく。

私も色々な場所を調べた。

すると、本棚の奥に一本の小瓶があるのを見つけた。

何だろうと思って手に取ると、中には一枚の紙片が入っている。


「隊長、紙片を見つけましたカニ」

「なになに……?おお、これはすごい発見カニ。これは絵カニよ。泡でカバーして開けてみるカニ」


私がそれを見せると、隊長はやや興奮した口調で言った。

私は口から一つの大きな泡を出すと、それで瓶をすっぽりと覆った。

そうして蓋を開け、中の紙片を取り出す。

崩れないように慎重に手に取ってみると、それははたして一枚の絵であった。

一匹のニンゲンのメスを描いたもので、こちらに向かって微笑みながら大きな椅子に腰かけている。

「昔のニンゲンを描いたものカニ?」

「どうやらそのようですカニ」

「それは貴重な資料カニ。きちんと村に持ち帰って……カニ?」


その時、隊長の持つ小型通信機がにわかにブルブルと振動した。

どうやらBチームから連絡が入ったようだ。


「もしもし、こちら隊長カニ」

「隊長、こちらBチームカニ。最初のエリアでの調査がひと段落つきましたので、さらに奥へと進もうかと思いますカニ」

「おお、了解カニ。順調カニな」

「そちらは何か発見はありましたカニ?」

「保存状態の良いニンゲンの絵を発見したカニ」

「おお、それはすばらしいですカニ!これでまた我々のニンゲン研究は着実な一歩を―――」


その時、通話の途中で、突然Bチームの通信がノイズだらけになった。

大きなノイズ音に思わず耳を離した隊長は、再度Bチームに向かって呼びかけた。


「どうも通信状況が悪いみたいカニ。そちらは聞こえているカニか?」

しかし、あちらからの応答はない。

代わりに、ノイズに混ざって誰かが叫ぶような声と、何か硬いものをバリバリと噛み砕くような音が聞こえてきた。

ふと周りを見回してみると、Aチーム全員が異様な気配に耳をそばだてている。

例の若い隊員がごくりと唾を飲み込む音が、いやに大きく船長室に響いた。


「……Bチーム、何があったカニ。Bチーム、応答せよ」


隊長が呼びけたが、そこで通信はぷっつりと途切れた。

Aチーム一同は沈黙に包まれる。

そんな重い空気を打ち破るように、隊長がはっきりとした声で次のように言った。


「Bチームの様子を見に行く必要があるカニ」


改めて言葉にされると身体に震えがくるようだ。

隊長もおそらく恐怖を感じているだろうが、それを努めて表に出さないようにしているようだった。


「君たちはここで待機していてくれカニ。何もないとは思うが、もし三十分経っても我々が戻らなかったら、その時は予め決められたルートを通って脱出してくれ。その時は君がリーダーを……」

隊長が臨時の際のリーダーに私を指名しようとした時、それは聞こえた。


ドン……、ドン……。


遠くから響いてくる音。

連続で反響する重い振動。

何かが激しく船体にぶつかっているようなそれは、発生源がかなり遠くであると思われるのに、我々の身体をビリビリと震わせた。


隊長が困惑したような顔で周囲を見回す。


「な、なんだこれはカニ?何が起きて……」


と、その時だった。

我々のいる船長室へと通じる通路の向こう側から、全速力で走ってくるカニ人の姿が見えた。

あれはBチームのリーダーだ。

何がその身に起きたのか、恐怖に顔をゆがめ、死に物狂いでこちらに向かって走ってくる。

我々は反射的に海照灯をそのカニ人の方に向け、彼が何から遠ざかろうとしているのかを知ろうとした。

しかし、ライトは壁に遮られて良く見えない。


「た、助けてくれカニ……!に、にんぎょ……」

それが彼のこの世で最後の言葉となった。

彼の背後にある壁が、我々の見ている前で上下に大きく開いた。

その壁には真っ赤な歯茎があった。歯茎からは真っ白で大きな歯が何本も生えていて、その奥から太くて長い舌がべろりと伸びてくるのが見えた。

そして、それは機械のような素早さでバクンと閉じられ、哀れなBチームのリーダーを一瞬にしてその中に収めてしまった。


「あ……あれは……あれは……」


隊長が恐怖に戦きながらも声を絞り出そうとする。

バリボリという咀嚼音が響き、ゴクンと口の中のものを飲み下すと、その大きな口はニンマリと笑った。

悪夢のように巨大な口の上には、ニンゲンのメスの胴体がくっついている。

豊かな銀髪をゆらゆらと海水にたなびかせ、頭から生えた二本の角が海照灯をキラリと反射する。

ニンゲン部分に両腕はなく、衣服はわずかしか纏っていない。

しかしその表情は満面の笑みに満ちていた。


「ま、マンタ……人魚ちゃん……」


これこそ我らの不倶戴天の敵。

人類滅亡の最大の障害。

数多くいる人魚族の中でも、とりわけ我々カニ人を捕食しに来る悪魔のような存在……マンタ人魚ちゃんである。

「わ、こっちにもいた。一体何匹入り込んでいるの?困ったわねぇ」

などと、のんびりした口調で言うマンタ人魚ちゃん。

だが、それに対する我々は片時ものんびりなどしていられなかった。

一刻も、いや一秒でも早くこの場から逃げ出さなければ自分たちの身が危ないのは分かっている。

頭では分かっているのだが、先ほどの惨劇を目にしたせいで、Aチームの全員の足がすくんでしまって動けないのである。


「他人の家に勝手に入り込むなんて、いけないことだわ。そんな悪い子たちはみんな食べてしまいましょう」


マンタ人魚ちゃんが楽しそうな口調で言う。

家……?するとここはマンタ人魚ちゃんの棲み処だったのか。

そうとも知らず、我々はわざわざそんな危険なものがいるところに足を踏み入れてしまったということか。


「それじゃあ、いただきまーす。できれば抵抗しないでね?貴方たちは小さいから、見つけるのが大変なのよ」


そう言って、我々の方に向かって迫り来るマンタ人魚ちゃん。

ニンゲンの顔も、下にある口も満面の笑みだ。

心臓が停止しそうなほどの恐怖を感じているのに、逆にそれ故に足が凍り付いたように動かない。

それは私だけではなく、隊長も含めたAチームの全員がである。

絶体絶命の危機。

もうダメかと思われた、その時である。

こっちだカニ!


驚くべきことに、一人のカニ人がマンタ人魚ちゃんめがけて飛び掛かった。

それは何とあの若いカニ人……ここに来る途中で隊長の激しい叱責を受けた、あの新入りのカニ人である。

彼は頭のハサミを腕に装着し、それを振り回しながらマンタ人魚ちゃんに決死の突撃を敢行する。


「あれ、立ち向かってくるの?空き巣にしては勇敢なのねぇ」


ニンゲンの作った兵器くらいならば、戦車だろうが装甲車だろうがあっという間にバラバラにできるほどの威力を持つカニ人のハサミだが、しかしマンタ人魚ちゃんには攻撃が通じている気配がない。

カニ人の攻撃は人魚族には通用しないのだ。

ではあの若き勇敢なカニ人の行為は無駄であったのか?

否、そうではない。

彼の勇気ある行動が引き金となり、金縛りにあっていた我々の身体は自由を取り戻した。

一番近くにいた隊長他数名のカニ人がハサミを装着し、若い新入りを助けろとばかりにマンタ人魚ちゃんに突撃しつつ、後ろにいる我々に向かって叫んだ。

「ここは我々に任せて、早く逃げるカニ!」


その直後、最初に突撃した若いカニ人が、マンタ人魚ちゃんによってあっけなくその身体をバラバラに引きちぎられた。

数名のカニ人が仲間の敵を討とうと遮二無二攻撃するが、すべて人魚族の硬い皮膚に弾かれ、巨大な口で噛み砕かれていく。

やがてマンタ人魚ちゃんは隊長の目前まで迫ってきた。


「早く行くカニ!行ってこのことを村に伝えてく―――」

その直後、最初に突撃した若いカニ人が、マンタ人魚ちゃんによってあっけなくその身体をバラバラに引きちぎられた。

数名のカニ人が仲間の敵を討とうと遮二無二攻撃するが、すべて人魚族の硬い皮膚に弾かれ、巨大な口で噛み砕かれていく。

やがてマンタ人魚ちゃんは隊長の目前まで迫ってきた。

「早く行くカニ!行ってこのことを村に伝えてく―――」


その言葉を言い終わらないうちに、隊長は片方のハサミだけを残してマンタ人魚ちゃんの口の中へと消えた。

私を含む生き残りのメンバーは、それを見届けた直後に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「あ、逃げちゃダメって言ったのに……こら、待てー!」


背後からは怒ったマンタ人魚ちゃんがものすごい勢いで追いかけてくる。

逃げ遅れた仲間が次々に人魚ちゃんの口に捕えられ、バリバリという音を最後にこの世から消えていく。

私は死に物狂いでその不快な音から逃げようと走り続けた。

もうどちらが上でどちらが下だかも分からないまま、私は船の底だか壁だかを手当たり次第に壊して逃げ道を開き続けた。


「あー!他人の家を壊しちゃダメだってのに……もう!」


遠くの方でマンタ人魚ちゃんの怒りの声が聞こえる。

一心不乱に逃げ続ける中で、私はある狭くて暗い一室を見つけた。

そこは倉庫として使用されていたようで、船乗りたちが使っていた用具や、それらを格納する木箱が沈没した当初のまま積まれたり散乱したりしている。


―――ここなら身を隠すことができるかもしれない。


私はそう思い、その部屋の中に隠れることにした。

そこでしばらくのあいだじっとしていると、出入り口の所に大きな生き物が近づいてくる気配がした。

マンタ人魚ちゃんだ。

私の匂いをたどってきたに違いない。

私は恐怖で総身が粟立つような思いがした。


「うん、やっぱりこの辺りにいるわね……ちょこまか動き回って、家じゅう壊して……絶対に許さないんだから」


マンタ人魚ちゃんがゆっくりと部屋の中に入ってくる。

その重みで老朽化した木材が軋む。

人魚ちゃんが部屋を捜索しているあいだずっと、私は息を殺して祈ることしかできなかった。


―――どうか見つかりませんように。人魚ちゃんが行ってしまいますように……。

マンタ人魚ちゃんが私の隠れている場所のすぐ近くまでやってきた時は、さすがにこれまでかと思って全てを諦めかけた。

しかし、いかなる僥倖か、人魚ちゃんは私を見逃して部屋から出て行った!

私は無意識にカニ人の祖霊に感謝の祈りを捧げて、天に向かって無言で快哉を叫びながら急いで倉庫を出ようとした。


その時だった。

「見つけた」


突然、私の身体がものすごい力によってガクンと上に引っ張り上げられた。

腕がちぎれるかと思うほどの負荷がかかり、私の身体が水中に浮く。

片方のハサミを咥えているのはマンタ人魚ちゃんの大きな下の口だ。

人魚ちゃんが怒った顔で私に言う。


「もう逃がさないわよ。覚悟しなさい」


どうやら、先ほど私を見つけ損なったのはフェイクだったようだ。

実際には部屋を出た後でどこかに回り込み、私が姿を現すのを待っていたに違いない。

私はまんまとその罠にはめられたというわけだ。

「さーて、私の家を壊しまくってくれた罰よ。どこから食べてあげようかしら」


まさに絶体絶命。

私はこの後で自分を待ち受ける運命を受け入れようとした。

すると、

「あら?貴方、そっちの手に持っているものは何?」

「へ?」

「その泡に包まれているものよ。何かしら?」

私はきょとんとした顔で自由な方の手を見た。

そのハサミには、船長室で手に入れたあの紙片が、瓶に入れられ泡に包まれた状態で収まっている。

死に物狂いでマンタ人魚ちゃんから逃げながらも、これだけは手離さなかったのだ。

私はあわてて人魚ちゃんの質問に答えた。


「こ、これは、絵カニ」

「絵?どんな絵?」


マンタ人魚ちゃんはやけにこの紙片を気にしているようだ。

「どんなって……ニンゲンのメスの絵カニ」

「人間の……?それ、どこにあったの?」

「船長室カニ」

見せて


マンタ人魚ちゃんは突然強い口調でそう言った。

私の顔に向かって、自分の顔をほとんどくっつきそうになるほど近づけてくる。

どうやらこの紙片はマンタ人魚ちゃんにとって何か特別な意味のあるものらしかった。

もしかして、これはチャンスかもしれないのでは?と私は思った。

可能性は低いが、上手くいけばこの場を逃げ切れるかもしれない……。

私はその可能性に賭けてみることにした。


「これを渡したら、命だけは助けてくれるカニ?」

「考えてあげるわ。だから早くそれをこっちに渡しなさい」


十中八九嘘っぱちだろう。

間違いなく見せた後で食べられるに違いない。

しかし私はあえてその言葉に乗ることにした。


「じゃあ渡すカニ。きちんと受け取るカニ」


そう言って、私は紙片の入った泡をマンタ人魚ちゃんに渡すふりをして、全力でそれを外に向かって放り投げた。

泡は崩れた木材の隙間から船外へ飛び出し、浮力に従って見る見るうちに海面へと上昇していく。


「あっ!」

マンタ人魚ちゃんが驚きの声を上げると同時に、私は咥えられていた腕を自ら切り離した。

カニ人の腕はちぎれやすい。襲撃されたときに少しでも生存確率を上げられるよう、対人魚族用に進化した能力なのだ。


「アッ、しまった!でも……あー、もう!」


マンタ人魚ちゃんはどこかへ飛んで行った絵と逃がしたカニ人のどちらを追うべきか一瞬迷ったようだが、結局は絵を追って海面へと浮上していった。

私はすぐさま船外へ脱出し、元来た道をたどって全力疾走で村へと帰還した。

カニ人を取り逃がした後、海面へと浮上したマンタ人魚ちゃんは、各地の伝承に伝わる人魚のように近くの岩礁に腰かけていた。

そのヒレには、先ほどカニ人が放り投げた泡の塊が握られている。

マンタ人魚ちゃんはヒレを器用に使って泡をくしゃっと握りつぶすと、ビンの蓋を歯でこじ開けて中の紙片を慎重に取り出した。

そして、しばらくそこに描かれている人物を眺め、やがてふっと笑みをこぼした。


「まさか、これがまだあの船の中にあったなんてね……」


海風に揺られ、マンタ人魚ちゃんの銀髪がたなびく。

それは絵の中の人間の女性にそっくりだった。

いわく、人魚族のメスは人間のオスに恋をする。

そのために一時的に人魚族が人間に変身することもあるそうだ。

ということはこの絵の中の人物も、あるいは―――。

 




「ちゃんと最後まで持ってくれていたのね、あの人」


ふふっと、まるで少女のような顔をしてマンタ人魚ちゃんは笑う。

まるで懐かしい思い出に浸っているかのように。

そうしてしばらく絵を眺めていたのち、やがて深い海の中へと帰っていった。

 




 




 




その後しばらくして、カニ人に出し抜かれた腹いせに、とあるマンタ人魚ちゃんがカニ人の村を2~3個ほど壊滅状態に陥らせたが、それはまた別の話である。

沈没船

【1】 【2】 【3】

愚かなニンゲンどもが地上に現れてより、早や数十万年の時が経った。

奴らは長きにわたってこの星の覇者として繁栄を極めてきたが、それももう間もなく終わりを告げる。

偽りの霊長どもに栄えある終焉を。

人類滅亡の日はすぐそこまで迫っている。


我々はカニ人。この星の真の支配者である。

我々の目的は、哀れな人類に滅びという名の救済を与えてやることである。

我々はニンゲンよりもずっと賢く、強靭な肉体を持ち、すぐれた科学技術も有している。

我々は奴らよりもはるかにすぐれた生物なのである。


やがて我々はニンゲンを滅ぼし、そして第二の人類としてこの地球上の全生物の頂点に君臨する。

我々の真の実力をもってすれば、人類を滅ぼすなどフナムシを叩き潰すよりも簡単なことだ。

ニンゲンの言葉でいえば、「朝飯前」「おちゃのこさいさい」というやつである。


……いや、フナムシは言い過ぎたかもしれない。

そういえばついこないだ隣村が大量のフナムシに襲われ、仲間が大勢引きちぎられて食われたと聞いている。

しかも噂では、生き残った仲間も大半が彼らの住処へと連れ去られてしまったとか……なんとも恐ろしい話である。

訂正する、フナムシは強い。

それはともかく、我々は脆弱なニンゲンどもよりはるかに強い生き物なのである。


しかし、2020年1月現在の地球上の様子はどうか。

ニンゲンは絶滅したか?

奴らの主要都市は我々カニ人の軍団によって蹂躙されたか?

残念ながらそうではないのである。

嘆かわしいことに、今もって我々はニンゲンを滅ぼせていない。

それどころか、奴らに侵略戦争を仕掛けることすらできていない状態なのである。


それはなぜか。

人魚のせいである。


人魚は我々カニ人の天敵だ。

どいつもこいつも岩盤のように硬い表皮を持っているくせにスピードはまるで魚雷のように速く、いつも我々を目の敵にしていて、カニ人を見つけると食べるか身体をバラバラに引きちぎってしまう、まるで悪魔である。というか悪魔に違いない。

しかもあろうことか人魚族のメスはニンゲンのオスが大好き(性的な意味で)なので、奴らを滅ぼそうとしている我々のことを快く思っていないのだ。

まったくもって邪魔以外の何者でもない存在である。


それでも我々は勇敢に戦うのであるが、生来の身体能力の差は如何ともしがたく、常にあと一歩の所で敗北を喫してしまう。

我々がいまだ人類を滅亡させていないのはこれが原因である。

人魚族の存在が、我らの進攻を阻んでいるのだ。


しかし、そんな状況でもめげたりする我々ではない。

いつの日か必ずや人類滅亡の悲願を成就させるため、そして打倒人魚族のため、我々は日々奴らについての研究を続けているのである。

このレポートもその一環である。

人魚族の妨害によって我々は陸地へ上陸することができないので、ニンゲンが海洋に投棄したゴミや、天災や戦争等で海底に沈没した船を調査し、 ニンゲンの生活や技術に関する情報を収集しているのだ。

これは、そんな「ニンゲン調査隊」に私が同行した際の記録である。

その日の調査は、とある海域に沈んだニンゲンの船が対象であった。

そこは当時私が住んでいた村からほど近いエリアで、哨戒チームから沈没船発見の報を受けた我々は、ただちに調査チームを派遣することにした。

チームの総員は12名。その中には人魚族からの襲撃に備えた護衛が2名含まれている。

準備を整え、我々はすぐに出立した。


太陽の光がぼんやりとしか届かぬ海底を、我々はぞろぞろと列をなして歩いていた。

一人一人が「海照灯」と呼ばれるライトのようなもので進行方向を照らしている。

これは海中に生息する特殊なバクテリアと同じく特殊な巻貝の分泌物を利用した光源で、圧力を調整することによって自由に光量を変化させることができるという優れものである。

これがなければ如何にカニ人といえども海底を自由自在に歩くことはできない。

それほどに海の底というのは暗い闇の世界なのである。


我々が黙々と歩き続けていると、先頭を行く隊長が後ろを振り返りつつ叫んだ。


「もうすぐ目的地カニ。情報によれば、そこそこの大きさのニンゲンの船が沈んでいるはずカニ。みんな周りをよく見て、それらしきものがあったらすぐに隊長に報告するカニ」

「了解カニ!」


私も含め、隊員のカニ人たちが一斉に片手を挙げて返事をした。

手に持った海照灯の明かりを頼りに、各々が我先に沈没船を発見しようと周囲に目を凝らす。


私の前を歩いていた仲間が、もっと遠くまで見ようとして海照灯の光量を調節しようとすると、すぐさま隊長から叱責の声が飛んできた。


「こら、あんまり明かりは強めちゃいけないカニよ。この辺りは人魚ちゃんの目撃情報が多いから、見つかったらえらいことになるカニ」


そう言って、隊長はぶるりと身を震わせた。

その言葉を聞いた私たち隊員の身体も同じようにぶるぶると震えた。

全員が慌てて海照灯の光量を下げる。

人魚に見つかるくらいなら、沈没船を発見できずに延々と歩き続けているほうがはるかにマシだと思えたからだ。


しかし、そう思ったのは全員ではなかったらしい。

隊長に向かって挙手をして発言権を求めたのは、最近調査隊に入ったばかりと思しき若いカニ人だった。


「隊長、質問してもいいですカニ?」

「ん、どうしたカニ?」

「人魚というのはそんなに恐ろしいものなのですカニ?」


その言葉が終わるか終わらないかの内に、私や隊長も含めた調査隊の全員が、血相を変えてその若いカニ人に飛び掛かり、その愚かな口を一瞬でふさいだ。

そして、突然のことに何が起こったのか分かっていないそいつに向かって、隊長が必死に押し殺した声で怒鳴った。


「このばか野郎!びっくりして心臓が停まるかと思ったカニ!このあんぽんたん!スットコドッコイ!信じられない奴カニ。人魚ちゃんを呼び捨てにするなんて……いいカニ?今度から人魚ちゃんのことを呼ぶときは、必ず後ろに『ちゃん』を付けるカニ。もし今この近くにウミガメ人魚ちゃんでもいたら、我々の調査はここで終了していたカニよ」

「わ、わかりましたカニ。すみませんでしたカニ。もうしませんカニ」


隊長の異様な気迫に圧されたのか、若いそいつはコクコクと頷いた。

我々はそのまましばらく息を殺し、辺りに人魚族の気配がないか慎重に探った。

そして、どうやら今この近くにはいないようだと分かると、全員がほっと溜息をついた。

こほん、と小さく咳ばらいをしつつ隊長が言う。


「……まったく、寿命が縮むかと思ったカニ。次からは十分に気を付けるカニよ。不用意な言動一つで文字通り部隊が壊滅することもあり得るカニ。我々の仕事は非常に危険なのだカニ」

「わかりました、以後は十分に注意しますカニ」

「うん、わかればよいカニ」


そう言うと、隊長はカンカンとハサミを打ち鳴らした。


「さあ、目的地はすぐそこカニよ。みんなもくれぐれも油断するなカニ」


そうして、我々はまた歩き始めた。

先ほど隊長に怒られた若者の方を見ると、何とかして自分の失態を取り戻そうとしているのか、目を皿のようにして周囲を見回している。

あまり肩に力を入れすぎなければいいが、と私は思った。


海照灯の光を頼りにしばらく進むと、目標の沈没船の姿が目に入った。

沈んでからかなりの年月が経っているようで、船体表面はフジツボや海藻などでびっしりと覆われている。

かなり古い時代のニンゲンが使っていたようだ。


「これカニ。こいつを調べるカニ」


コンコン、と船体をハサミで叩きながら隊長が言った。


「かなり大きいですカニね」

「たしカニ。調べるのはなかなか骨が折れそうカニ。……よし、二手に分かれるカニ。AとBの2チームでそれぞれ反対側から調査を開始するカニ」


隊長の指示の下、我々は6名ずつのチームに分けられた。

私は隊長と同じAチームに組み入れられた。

他のメンバーを見ると、あの若い隊員も同じチームだった。

隊長の目の届くところに置いておくということだろうか、と私は思った。


「気を付けて行ってくるカニ。何か異常を感じたらすぐに連絡してくるカニよ」

「わかりましたカニ。ではBチーム、行ってきますカニ」


Bチームは新たに選ばれたリーダーを先頭に、船体の崩れた部分から内部へと入っていった。

それを見送った後、隊長はこちらを振り返って言った。


「さあ、我々も調査を開始するカニ」


そうして我々Aチームも船内へと足を踏み入れた。

内部はほぼ完全に真っ暗で、海照灯がなければ何も見えない。

まずは護衛担当が船内に危険がないことを確認、続いて我々調査担当者も入り、船内をくまなく調べ始めた。


おおよそ一時間ほどの調査の結果わかったことだが、どうやらこの船は今から三百年ほど前にニンゲンによって使用されていた運搬船であったようだ。

船内には未開封の木箱や樽が大量に残っており、内部の成分を分析した結果、ニンゲンが「漬物」と呼ぶ魚介類を使った保存食品や、同じく「ワイン」と呼ばれる陸生果実由来の飲料等が入っていたようだ。

どうやらこの船はそれらの荷物をニンゲンの居住地から居住地へと運搬する役目を担っていたらしい。

その途中で何かものすごく大きなものに衝突された……というのが我々の見解だった。


我々が入ってきた穴は、その時の衝撃によってできたものだと思われる。

別の船か岩礁かはわからないが、とにかくそういったものによって船体が大きく破損し浸水、海中に没したと推測された。


「あの穴は一体なんなんでしょうカニ?」


私がそう言うと、隊長は首を横に振って答えた。


「わからんカニ。岩礁にでもぶつかったか、はたまた同じニンゲン同士で争ったか……」

「争ったというよりは、一方的に襲われたのかもしれません」

「そうかもしれないカニ。しかしいずれにせよ、まずは調べてみないことには何もわからないカニ」


隊長の命の下、私たちのチームは別の階層へと移動した。

さらに調査を進めていくと、他とは少し雰囲気の異なる部屋に辿り着いた。

小さな個室だが、明らかに他の部屋よりも高級な家具が誂えてあり、書き物をするための椅子と机も置かれている。


「ここはいわゆる『船長』、つまりこの船のリーダーが使っていた部屋かもしれないカニ。よく調べるカニ」


そういうわけで、この部屋は特に念入りに調べられることになった。

家具の引き出しはすべてこじ開けられ、床板や天井が仲間たちによって剥がされていく。

私も色々な場所を調べた。

すると、本棚の奥に一本の小瓶があるのを見つけた。

何だろうと思って手に取ると、中には一枚の紙片が入っている。


「隊長、紙片を見つけましたカニ」

「なになに……?おお、これはすごい発見カニ。これは絵カニよ。泡でカバーして開けてみるカニ」


私がそれを見せると、隊長はやや興奮した口調で言った。

私は口から一つの大きな泡を出すと、それで瓶をすっぽりと覆った。

そうして蓋を開け、中の紙片を取り出す。

崩れないように慎重に手に取ってみると、それははたして一枚の絵であった。

一匹のニンゲンのメスを描いたもので、こちらに向かって微笑みながら大きな椅子に腰かけている。


「昔のニンゲンを描いたものカニ?」

「どうやらそのようですカニ」

「それは貴重な資料カニ。きちんと村に持ち帰って……カニ?」


その時、隊長の持つ小型通信機がにわかにブルブルと振動した。

どうやらBチームから連絡が入ったようだ。


「もしもし、こちら隊長カニ」

「隊長、こちらBチームカニ。最初のエリアでの調査がひと段落つきましたので、さらに奥へと進もうかと思いますカニ」

「おお、了解カニ。順調カニな」

「そちらは何か発見はありましたカニ?」

「保存状態の良いニンゲンの絵を発見したカニ」

「おお、それはすばらしいですカニ!これでまた我々のニンゲン研究は着実な一歩を―――」


その時、通話の途中で、突然Bチームの通信がノイズだらけになった。

大きなノイズ音に思わず耳を離した隊長は、再度Bチームに向かって呼びかけた。


「どうも通信状況が悪いみたいカニ。そちらは聞こえているカニか?」


しかし、あちらからの応答はない。

代わりに、ノイズに混ざって誰かが叫ぶような声と、何か硬いものをバリバリと噛み砕くような音が聞こえてきた。

ふと周りを見回してみると、Aチーム全員が異様な気配に耳をそばだてている。

例の若い隊員がごくりと唾を飲み込む音が、いやに大きく船長室に響いた。


「……Bチーム、何があったカニ。Bチーム、応答せよ」


隊長が呼びけたが、そこで通信はぷっつりと途切れた。

Aチーム一同は沈黙に包まれる。

そんな重い空気を打ち破るように、隊長がはっきりとした声で次のように言った。


Bチームの様子を見に行く必要があるカニ」


改めて言葉にされると身体に震えがくるようだ。

隊長もおそらく恐怖を感じているだろうが、それを努めて表に出さないようにしているようだった。


「君たちはここで待機していてくれカニ。何もないとは思うが、もし三十分経っても我々が戻らなかったら、その時は予め決められたルートを通って脱出してくれ。その時は君がリーダーを……」


隊長が臨時の際のリーダーに私を指名しようとした時、それは聞こえた。


ドン……、ドン……。


遠くから響いてくる音。

連続で反響する重い振動。

何かが激しく船体にぶつかっているようなそれは、発生源がかなり遠くであると思われるのに、我々の身体をビリビリと震わせた。


隊長が困惑したような顔で周囲を見回す。


「な、なんだこれはカニ?何が起きて……」


と、その時だった。

我々のいる船長室へと通じる通路の向こう側から、全速力で走ってくるカニ人の姿が見えた。

あれはBチームのリーダーだ。

何がその身に起きたのか、恐怖に顔をゆがめ、死に物狂いでこちらに向かって走ってくる。

我々は反射的に海照灯をそのカニ人の方に向け、彼が何から遠ざかろうとしているのかを知ろうとした。

しかし、ライトは壁に遮られて良く見えない。


「た、助けてくれカニ……!に、にんぎょ……」


それが彼のこの世で最後の言葉となった。

彼の背後にある壁が、我々の見ている前で上下に大きく開いた。

その壁には真っ赤な歯茎があった。歯茎からは真っ白で大きな歯が何本も生えていて、その奥から太くて長い舌がべろりと伸びてくるのが見えた。

そして、それは機械のような素早さでバクンと閉じられ、哀れなBチームのリーダーを一瞬にしてその中に収めてしまった。


「あ……あれは……あれは……」


隊長が恐怖に戦きながらも声を絞り出そうとする。

バリボリという咀嚼音が響き、ゴクンと口の中のものを飲み下すと、その大きな口はニンマリと笑った。

悪夢のように巨大な口の上には、ニンゲンのメスの胴体がくっついている。

豊かな銀髪をゆらゆらと海水にたなびかせ、頭から生えた二本の角が海照灯をキラリと反射する。

ニンゲン部分に両腕はなく、衣服はわずかしか纏っていない。

しかしその表情は満面の笑みに満ちていた。


「ま、マンタ……人魚ちゃん……」


これこそ我らの不倶戴天の敵。

人類滅亡の最大の障害。

数多くいる人魚族の中でも、とりわけ我々カニ人を捕食しに来る悪魔のような存在……マンタ人魚ちゃんである。


「わ、こっちにもいた。一体何匹入り込んでいるの?困ったわねぇ」


などと、のんびりした口調で言うマンタ人魚ちゃん。

だが、それに対する我々は片時ものんびりなどしていられなかった。

一刻も、いや一秒でも早くこの場から逃げ出さなければ自分たちの身が危ないのは分かっている。

頭では分かっているのだが、先ほどの惨劇を目にしたせいで、Aチームの全員の足がすくんでしまって動けないのである。


「他人の家に勝手に入り込むなんて、いけないことだわ。そんな悪い子たちはみんな食べてしまいましょう」


マンタ人魚ちゃんが楽しそうな口調で言う。

家……?するとここはマンタ人魚ちゃんの棲み処だったのか。

そうとも知らず、我々はわざわざそんな危険なものがいるところに足を踏み入れてしまったということか。


「それじゃあ、いただきまーす。できれば抵抗しないでね?貴方たちは小さいから、見つけるのが大変なのよ」


そう言って、我々の方に向かって迫り来るマンタ人魚ちゃん。

ニンゲンの顔も、下にある口も満面の笑みだ。

心臓が停止しそうなほどの恐怖を感じているのに、逆にそれ故に足が凍り付いたように動かない。

それは私だけではなく、隊長も含めたAチームの全員がである。

絶体絶命の危機。

もうダメかと思われた、その時である。


「こっちだカニ!」


驚くべきことに、一人のカニ人がマンタ人魚ちゃんめがけて飛び掛かった。

それは何とあの若いカニ人……ここに来る途中で隊長の激しい叱責を受けた、あの新入りのカニ人である。

彼は頭のハサミを腕に装着し、それを振り回しながらマンタ人魚ちゃんに決死の突撃を敢行する。


「あれ、立ち向かってくるの?空き巣にしては勇敢なのねぇ」


ニンゲンの作った兵器くらいならば、戦車だろうが装甲車だろうがあっという間にバラバラにできるほどの威力を持つカニ人のハサミだが、しかしマンタ人魚ちゃんには攻撃が通じている気配がない。

カニ人の攻撃は人魚族には通用しないのだ。

ではあの若き勇敢なカニ人の行為は無駄であったのか?

否、そうではない。

彼の勇気ある行動が引き金となり、金縛りにあっていた我々の身体は自由を取り戻した。

一番近くにいた隊長他数名のカニ人がハサミを装着し、若い新入りを助けろとばかりにマンタ人魚ちゃんに突撃しつつ、後ろにいる我々に向かって叫んだ。


「ここは我々に任せて、早く逃げるカニ!」


その直後、最初に突撃した若いカニ人が、マンタ人魚ちゃんによってあっけなくその身体をバラバラに引きちぎられた。

数名のカニ人が仲間の敵を討とうと遮二無二攻撃するが、すべて人魚族の硬い皮膚に弾かれ、巨大な口で噛み砕かれていく。

やがてマンタ人魚ちゃんは隊長の目前まで迫ってきた。


「早く行くカニ!行ってこのことを村に伝えてく―――」


その言葉を言い終わらないうちに、隊長は片方のハサミだけを残してマンタ人魚ちゃんの口の中へと消えた。

私を含む生き残りのメンバーは、それを見届けた直後に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「あ、逃げちゃダメって言ったのに……こら、待てー!」


背後からは怒ったマンタ人魚ちゃんがものすごい勢いで追いかけてくる。

逃げ遅れた仲間が次々に人魚ちゃんの口に捕えられ、バリバリという音を最後にこの世から消えていく。

私は死に物狂いでその不快な音から逃げようと走り続けた。

もうどちらが上でどちらが下だかも分からないまま、私は船の底だか壁だかを手当たり次第に壊して逃げ道を開き続けた。


「あー!他人の家を壊しちゃダメだってのに……もう!」


遠くの方でマンタ人魚ちゃんの怒りの声が聞こえる。

一心不乱に逃げ続ける中で、私はある狭くて暗い一室を見つけた。

そこは倉庫として使用されていたようで、船乗りたちが使っていた用具や、それらを格納する木箱が沈没した当初のまま積まれたり散乱したりしている。


―――ここなら身を隠すことができるかもしれない。


私はそう思い、その部屋の中に隠れることにした。

そこでしばらくのあいだじっとしていると、出入り口の所に大きな生き物が近づいてくる気配がした。

マンタ人魚ちゃんだ。

私の匂いをたどってきたに違いない。

私は恐怖で総身が粟立つような思いがした。


「うん、やっぱりこの辺りにいるわね……ちょこまか動き回って、家じゅう壊して……絶対に許さないんだから」


マンタ人魚ちゃんがゆっくりと部屋の中に入ってくる。

その重みで老朽化した木材が軋む。

人魚ちゃんが部屋を捜索しているあいだずっと、私は息を殺して祈ることしかできなかった。


―――どうか見つかりませんように。人魚ちゃんが行ってしまいますように……。


マンタ人魚ちゃんが私の隠れている場所のすぐ近くまでやってきた時は、さすがにこれまでかと思って全てを諦めかけた。

しかし、いかなる僥倖か、人魚ちゃんは私を見逃して部屋から出て行った!

私は無意識にカニ人の祖霊に感謝の祈りを捧げて、天に向かって無言で快哉を叫びながら急いで倉庫を出ようとした。


その時だった。


「見つけた」


突然、私の身体がものすごい力によってガクンと上に引っ張り上げられた。

腕がちぎれるかと思うほどの負荷がかかり、私の身体が水中に浮く。

片方のハサミを咥えているのはマンタ人魚ちゃんの大きな下の口だ。

人魚ちゃんが怒った顔で私に言う。


「もう逃がさないわよ。覚悟しなさい」


どうやら、先ほど私を見つけ損なったのはフェイクだったようだ。

実際には部屋を出た後でどこかに回り込み、私が姿を現すのを待っていたに違いない。

私はまんまとその罠にはめられたというわけだ。


「さーて、私の家を壊しまくってくれた罰よ。どこから食べてあげようかしら」


まさに絶体絶命。

私はこの後で自分を待ち受ける運命を受け入れようとした。

すると、


「あら?貴方、そっちの手に持っているものは何?」

「へ?」

「その泡に包まれているものよ。何かしら?」

私はきょとんとした顔で自由な方の手を見た。

そのハサミには、船長室で手に入れたあの紙片が、瓶に入れられ泡に包まれた状態で収まっている。

死に物狂いでマンタ人魚ちゃんから逃げながらも、これだけは手離さなかったのだ。

私はあわてて人魚ちゃんの質問に答えた。


「こ、これは、絵カニ」

「絵?どんな絵?」


マンタ人魚ちゃんはやけにこの紙片を気にしているようだ。


「どんなって……ニンゲンのメスの絵カニ」

「人間の……?それ、どこにあったの?」

「船長室カニ」

「見せて」


マンタ人魚ちゃんは突然強い口調でそう言った。

私の顔に向かって、自分の顔をほとんどくっつきそうになるほど近づけてくる。

どうやらこの紙片はマンタ人魚ちゃんにとって何か特別な意味のあるものらしかった。


もしかして、これはチャンスかもしれないのでは?と私は思った。

可能性は低いが、上手くいけばこの場を逃げ切れるかもしれない……。

私はその可能性に賭けてみることにした。


「これを渡したら、命だけは助けてくれるカニ?」

「考えてあげるわ。だから早くそれをこっちに渡しなさい」


十中八九嘘っぱちだろう。

間違いなく見せた後で食べられるに違いない。

しかし私はあえてその言葉に乗ることにした。


「じゃあ渡すカニ。きちんと受け取るカニ」


そう言って、私は紙片の入った泡をマンタ人魚ちゃんに渡すふりをして、全力でそれを外に向かって放り投げた。

泡は崩れた木材の隙間から船外へ飛び出し、浮力に従って見る見るうちに海面へと上昇していく。


「あっ!」


マンタ人魚ちゃんが驚きの声を上げると同時に、私は咥えられていた腕を自ら切り離した。

カニ人の腕はちぎれやすい。襲撃されたときに少しでも生存確率を上げられるよう、対人魚族用に進化した能力なのだ。


「アッ、しまった!でも……あー、もう!」


マンタ人魚ちゃんはどこかへ飛んで行った絵と逃がしたカニ人のどちらを追うべきか一瞬迷ったようだが、結局は絵を追って海面へと浮上していった。

私はすぐさま船外へ脱出し、元来た道をたどって全力疾走で村へと帰還した。


カニ人を取り逃がした後、海面へと浮上したマンタ人魚ちゃんは、各地の伝承に伝わる人魚のように近くの岩礁に腰かけていた。

そのヒレには、先ほどカニ人が放り投げた泡の塊が握られている。

マンタ人魚ちゃんはヒレを器用に使って泡をくしゃっと握りつぶすと、ビンの蓋を歯でこじ開けて中の紙片を慎重に取り出した。

そして、しばらくそこに描かれている人物を眺め、やがてふっと笑みをこぼした。


「まさか、これがまだあの船の中にあったなんてね……」


海風に揺られ、マンタ人魚ちゃんの銀髪がたなびく。

それは絵の中の人間の女性にそっくりだった。

いわく、人魚族のメスは人間のオスに恋をする。

そのために一時的に人魚族が人間に変身することもあるそうだ。

ということはこの絵の中の人物も、あるいは―――。


「ちゃんと最後まで持ってくれていたのね、あの人」


ふふっと、まるで少女のような顔をしてマンタ人魚ちゃんは笑う。

まるで懐かしい思い出に浸っているかのように。

そうしてしばらく絵を眺めていたのち、やがて深い海の中へと帰っていった。


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その後しばらくして、カニ人に出し抜かれた腹いせに、とあるマンタ人魚ちゃんがカニ人の村を2~3個ほど壊滅状態に陥らせたが、それはまた別の話である。


Novel's by urazuMa

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